2017/01/23

HOMMAGE for KEIKO FUJI


The Greatest Diva in the World, Keiko Fuji
偉大なディーバ、藤圭子


私は演歌はあまり好きではない。というより昔から肌が合わず寄せ付けない。私は自分のことをどんなものに対しても最初から拒否せずに理解しようとする性格だと自負?している。が、テレビを見ていて演歌が始まるとすぐにチャンネルを変えてしまう。如何ともしがたいことだ。それは育った音楽環境によるものなのかもしれない。私が日本の歌謡曲、中でも演歌をはじめてちゃんと聞いたのは、もう10代も後半になってからだったように思う。現在では、いくつかの演歌については、酔ったときなどに興に乗ってカラオケで歌ったりするまでになってはいるが。

ところで、藤圭子の歌はそんな歌の分類や範疇などは完全に超越した世界である。他の演歌歌手が歌う歌とは全く異なる響きと起源を持った異次元の世界のものである。彼女の歌う歌であれば、例えそれがど演歌であっても、25時間ぶっ通しで聞いていても飽きないし、心安らかな気持ちにさせてくれる。それだけその声とソウルフルな歌いまわしの生み出す情感は奇跡に近い力を持っている。

私は、藤圭子はかって存在した世界中のDivaの中でも頂点に位置する1人だと思う。

岩手県一関市出身。本名阿部純子。幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)、三味線瞽女の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。旭川市立神居中学校卒業。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念。17歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。(Wikipediaより)

沖縄や奄美の民謡、朝鮮半島のパンソリ(판소리)、モンゴルのホーミー、アイリッシュなどのケルト音楽、東欧やアラブの民族音楽など、古い源流を持つ音楽には聴く者の心を揺さぶる響きがある。最近インターネットラジオを聞いていてたまたま発見したBebe Rexhaに強く惹かれたのも、彼女の歌の中に彼女の先祖の地アルバニアの響きを感じ取ったからかもしれない。

そして、藤圭子の声には戦後高度成長期と学生運動の嵐をくぐり抜けた1970年代の東京の異様なテンションの高ぶりが感じられる一方で、それらの民族音楽と同質の原初的な響きが潜んでおり、その絶妙な融合がわれわれの心を揺さぶり続けているようである。彼女の才能には彼女の持って生まれたDNAとともにその生まれと境涯も大きく影響を与えていると思う。


そして、そのDNAは当然のこととしてHikkiに引き継がれている。あまり論じられてはいないようだが、Hikkiの歌声の中には間違いなく同じ形質が流れている。










上から順に
●デビュー曲『新宿の女』  学生運動の嵐が過ぎ去った新宿に響き渡ったディープヴォイス
●『アカシアの雨がやむとき』  昭和4510月 渋谷公会堂 デビュー直後の歌声
●『みだれ髪』  演歌も彼女が歌うと別世界が広がる
●『さすらい』
●『ネリカンブルース』



#keikofuji  #hikaruutada  #藤圭子 #宇多田ヒカル #hikki



2017/01/16

MY PRIVATE NARA





My Private Nara


秘密を抱いて
坂道を上っても
解明()かされないことはいくらでもある
My Private Nara
いつもここに戻ってくる
愁いや傷んだ心が
ゆっくりと溶けてゆく街

角振から猿沢へペダルを踏んで
高畑へ上って元興寺に下る
いつも哀しいけれど
美しい街

路地を出て風の向きに進むと
何故かまた路地に佇んでいる自分がいる
哀しいけれど甘美(うつく)しい街

My Private Nara



#nara







2017/01/13

CHINESE MOVIES


chinese two movies
中国の二つの映画


『中国行きのスロウ・ボート』は私のお気に入りの村上春樹の初期の短編である。何度か加筆修正されたらしいが、私が読んで知っているのは、安西水丸の表紙絵のある短編集(正確にはそれを文庫本にしたもの)の冒頭に収められたものである。作者の思い出の中にある三人の中国人とのエピソードが描かれていて、村上の初期の作品に特徴的な煌めくような喪失感が漂う秀逸な一編である。ソニー・ロリンズの"On a slow boat to China"をもとに題名を先に決めて、そこから書き始めたものであることは作者の弁として何処かで語られていた。

そこに描かれた中国人は異邦人としてのそれである。日本人として生きながら、意識の中に部外者としての「異邦人」を抱える彼らへの作者の共感とも言えるペーソスが底流に流れている。文芸批評家的に言えば、1970年代の学生運動の時代を生きた村上自身の中にある喪失感と社会の中でのアウトサイダーとしての意識が通奏低音として流れているということになるのだろうか。

私は村上春樹のことを基本的に短編作家だと思っている。初期の代表作『ノルウェイの森』も長編でありながら短編的テイストを持った作品である。『海辺のカフカ』以降の長編は未だ読んでいないが、彼の長編はどれも無理に引っ張ったような部分があり(長編とはそういうものかもしれないが)、少し白けてしまう。その一方で短編には完成度の高いものが多い。私は幼少時代に芥川龍之介や志賀直哉、梶井基次郎といった短編作家の作品を読み耽った経験があるが、村上春樹についても短編が好みである。戦後の短編作家では、もう一人金井美恵子がいる。短編集『プラトン的恋愛』に収められた作品群はとても素晴らしい。

中国に話を戻そう。今の時代は村上の描いた時代には思いもよらなかったほど多くの中国人が巷に溢れている。一方、村上が描いた時代の中国は文化大革命の時代であり、日本からは遠い国であった。われわれの知り得る中国は雑音だらけの北京放送に耳をくっつけてようやく日本語を拾い聞きすることによってしか知ることのできない遠い異国であった。今の北朝鮮と同じで、そこに普通の生活や普通の感情が交錯する日常が存在するとはとても思えなかった。中国映画といえば思いつくのは(見たことはないが)『紅色娘子軍』くらいで、それは大仰で芝居がかったプロパガンダに終始する革命劇という実態とは裏腹に、「紅色」という語感から妙にエロティックな妄想を抱かせるものだったようだ。

われわれが中国にも映画があることを知るようになったのは、チェン・イーモウ(張芸謀)の『紅いコーリャン』(紅高粱)やチェン・カイコー(陳凱歌) の『さらば、わが愛/覇王別姫』が公開された頃からである。さらに、こちらは返還前の香港映画で中国の本国映画とは系統が異なるが、ウォン・カーウァイ(王家衛)の『恋する惑星』(重慶森林)を見たときには、香港の九龍の電脳的な猥雑さとともに中国人の感性の新しい局面を知らされる思いであった。

そして、目から鱗の中国映画を私は知っている。チアン・ウェン(姜文)の『太陽の少年』(陽光燦爛的日子)とダイ・シージエ(戴思杰)の『中国の植物学者の娘たち』(Les Filles du botaniste 制作はフランス・カナダ)である。


『太陽の少年』は文革時代の中国が背景の映画。下放政策で大人がいなくなった北京で活き活きと生きる少年たちのひと夏を描いた物語である。その解放感とノスタルジーに溢れる画面は、これが文化大革命の時代のことか?と、今まで抱いていた文革とその時代の庶民生活へのイメージを一新させてくれたのであった。鈴木清順の『けんかえれじい』を彷彿とさせる少年たちの無法でヴィヴィッドなパッション。ある日主人公のシャオチュンが忍び込んだアパートで少女の肖像に出会うシーンとその少女(ミーラン)に街で偶然出会うシーンはこの映画の圧巻である。



















『中国の植物学者の娘たち』は中国の雲南省の昆明をモデルとした架空都市昆林の湖に浮かぶ孤島の植物園が舞台の悲恋物語である。中国という思想と表現の自由が閉ざされた社会の中のまたさらに外部から遮断された孤島。制限された少ない自由の中でこそ起こるピュアでジェニュインな恋愛が描かれている。中国人とロシア人のハーフの主人公リー・ミンは孤児院で育つが、薬草栽培の実習で島を訪れる。恋人となるチェン・アンは十歳で母を亡くしてからずっと一人で頑迷な植物学者の父の世話をし続けている。全編に流れる美しい雲南の風景を背景にこの二人の女性が辿る運命が描かれていく。二人の計略で実現したミンとアンの兄との結婚(「私の兄と結婚すれば私たちは一生離れずにいることができる」)であったが、ミンと兄が戯れているところを見て激しく嫉妬するアン。アンが家を出て行ったあとを追ったミンはアンに語りかける。「あなた以外の誰とも決して恋はしない」。こんな在り来たりの言葉が、このシーンで語られるときには間違いなく真実の声に聞こえるのだった。







 


#chinesemovie  #太陽の少年 #中国の植物学者の娘たち #中国映画