エミリー・ブロンテ(Emily Jane Brontë)が生涯(といってもたったの30年ですが)のほとんどを過ごしたハワース(Haworth)を訪れたのは随分以前のことになります。詩集『ブルー』を出版した翌年の秋でした。私はそのころ仕事でしばらくロンドンに滞在していたのですが、スコットランドのエディンバラを用事で訪れた帰りに、ダーリントンの友人のところに1泊して、そこから彼女の車でハワースまで送ってもらいました。
Top Withensまではムーア(moorはこの地方の言葉で荒野の意味)の中を3、4キロ歩いたでしょうか。今では記憶が曖昧になっていますが、森の中のブロンテ橋も渡ったように思うので、森も通ったのでしょう。どこかで手に入れた簡略化した地図を頼りに道の無い道を歩き続けたのを覚えています。薄曇りでしたが、最初に広々とした見晴らしのいい場所に出たときはまさに『嵐が丘』に出てくる荒野が目の前に広がり、震えるような感動が体を通り抜けたのを覚えています(陳腐な表現許してください)。どこまでも続く草原、所々に見える剥き出しの岩盤、ヘザー(ヒース)の茂み、吹き渡る荒々しい風・・・・
『中国行きのスロウ・ボート』は私のお気に入りの村上春樹の初期の短編である。何度か加筆修正されたらしいが、私が読んで知っているのは、安西水丸の表紙絵のある短編集(正確にはそれを文庫本にしたもの)の冒頭に収められたものである。作者の思い出の中にある三人の中国人とのエピソードが描かれていて、村上の初期の作品に特徴的な煌めくような喪失感が漂う秀逸な一編である。ソニー・ロリンズの"On a slow boat
to China"をもとに題名を先に決めて、そこから書き始めたものであることは作者の弁として何処かで語られていた。